LOGIN「――社長」「…………ん? なに?」 社食から社長室へ戻る途中、浮かない顔をしているわたしに忍が心配そうに声をかけてくれた。そういえば、わたしは萌絵や広瀬さんの話を聞いてからずっとため息ばかりついている。オムライスも三分の一ほど残してしまったし、彼が気にしてくれるのもムリはないだろう。「平本くんのこと、気になりますか? 叔父と昼食に出かけたことが」「…………あー、えっと……」 どうしてこんなに気にしているのか自分でも分からないけれど、果たして〝彼氏〟である忍に、今のこの気持ちを話していいものか……。「僕のことはお気になさらず、素直なご自分の気持ちを話して下さって構いませんよ。何を聞いても僕は気にしませんから」「うん……。平本くんね、わたしが『友だちのままじゃダメなの?』って言った後、返事を渋ったって言ったでしょ? まぁ、その気持ちも分からなくはないの。自分の失恋相手と〝友だち〟でいるなんて、彼にとっては多分苦痛以外の何ものでもないはずだから」「……はい」「それは仕方のないことだって、わたしも思ってる。でも……、そのせいで彼が南井さんの手先になっちゃうのはイヤだなぁって。彼、わたしのこと恨んでるのかなぁなんて思っちゃって。だから南井さんのお誘いにホイホイ乗っちゃったんじゃないかって、そんな気がするの。それってわたしのせいなのかなぁ……って。……わたしの考えすぎかな?」 忍は相槌を打ちながら、わたしの話を最後まで聞いてくれた。そしてやっと口を開く。この話を聞いて、彼はどう感じたんだろう?「それは社長のせいなんかじゃないと思います。その程度で叔父の側に寝返ったのだとしたら、彼の社長への気持ちは所詮その程度のものだったということでしょう。それを、叔父は利用したんです。叔父はそういう計算高い人なんですよ」「えっ?」 彼はいつになく辛辣で、わたしは呆気にとられた。叔父である南井さんのことでここまで険のある言い方になるのはしょっちゅうだけれど、平本くんのことをここまでボロカスに言うのは珍しい。それだけ彼に対して怒っているのか、ライバルだと認めているからなのか……。「それでも社長がご自分のことを責めて、彼に対して責任を感じていらっしゃるとしたら……。本当は彼に対して友情ではない感情を抱かれているからではないでしょうか」「……えっ? 友情
――と、そこへ一人の女性社員がやってきた。この会社で唯一制服のある、受付業務の女性社員だ。「あ、佑香社長。お疲れさまです。野島さんと……田口さんも一緒なんですね」「ああ、広瀬さん。お疲れさま。っていうか同期なんだから、敬語はいらないって。……今からお昼?」 わたしに「ええ」と答えた彼女は広瀬茉由。わたしと平本くん、そして萌絵の同期入社組だ。わたしと同じくらい……いや、背が高いのでわたし以上にスタイルがよくて大人っぽい美女で、艶やかな黒のウェービーなロングヘア―を、清潔感のあるアップスタイルにしている。 受付スタッフは常に誰かがカウンターにいなければならないので、交代制でお昼休憩を取る決まりになっているらしい。その証拠に、ついさっきまで食堂にいた受付スタッフが、彼女と入れ替わる形で食堂を出ていくのが見えた。「そういうわけにはいかないでしょう? あなたはもう、この会社の社長なんですから。ただの同期として接するわけにはいきません。わたしたち受付スタッフはこの会社の〝顔〟なんですから」 隣の空いたテーブルで冷製パスタを食べ始めた彼女が、わたしにさっきの発言への反論をした。怒っているわけではなくて、彼女の真面目な性格ゆえの反論だと思う。「……そっか。広瀬さんのそういう真面目なところ、わたしは尊敬するよ。ちょっと淋しいけど」「あたしは変わらずに
――電話の後、わたしはいつもどおりの仕事をこなし、今日もお昼休みがやってきた。 でも、先週までと違っているのは――。「――社長、今日も社食に行かれるんですよね? 僕も一緒に行きます」 わたしの〝彼氏〟に昇格した忍も一緒に行くことになったということだ。彼としては、もう萌絵や平本くんに遠慮する必要がなくなったわけである。ということは、今まではずっと遠慮していたということだろう。「うん。野島さんも一緒に行こう」 スラックスのポケットに二つ折りの財布を突っ込んだ彼が席を立つと、わたしもバッグから長財布を出して立ち上がる。「あ、私は今日お弁当持ちなので。お気になさらず社食デート、行ってらっしゃいませ」「……うん、行ってきまーす」「行ってきます、村井さん」 村井さんに冷やかされつつ、わたしたちは二十二階の社員食堂へと下りて行った。 * * * *「――佑香、こっちこっちー! ……あ、野島さんも一緒なんだ。お疲れさまです」 仲よくオムライスのトレーを抱えて席を探していると、四人掛けのテーブルにデンと陣取っていた萌絵が手を振っておいでおいでしてくれた。わたしたちがテーブルに到着すると、彼女は忍に後輩の顔で会釈する。 ちなみに、彼女が頼んだのは冷やし中華だった。「田口さん、お疲れさま。一昨日は実家の店に来てくれてありがとう。社長もありがとうございました」「いえいえ、あたしたちはあくまで客として行かせて頂いただけですから。――あ、よかったら席変わります? 佑香と向かい合わせの方がいいんじゃないですか?」 わたしの向かいに座っていた萌絵が、そう言って遠慮がちに腰を浮かす。「ごめん、田口さん。でもありがとう。じゃあ……そうさせてもらおうかな」 というわけで、わたしと忍は向かい合わせに、萌絵はわたしと隣り合わせに座る形になった。「それじゃ、いただきま~す!」 彼と仲よくゴハンを食べ始めたわたしは、ふとある違和感に気づいた。いつもはいるはずの彼が、今日はこの場にいないのだ。「……そういえば今日、平本くん来てないね」 今朝、わたしに面と向かってフラれたショックで顔を合わせづらいんだろうか?「もしかして、わたしのせいかなぁ? だとしたらちょっと平本くんに申し訳ないかも」「えっ? ……社長、彼と何かあったんですか?」 わたしにそう訊ねる忍の声
『――お待たせしました。高森です』 しばらく保留音が鳴った後、高森さんが電話口に出た。「高森社長、おはようございます。城ケ崎です。朝のお忙しい時間に連絡を差し上げて申し訳ございません」『ああ、いや。構いませんよ』 高森さんはわたしから電話がかかってきたというだけで、何だか上機嫌だ。気持ち悪い……。「では、さっそく本題に入らせて頂きます。そちらから送って頂いた、先日お話のあった新規事業参入の資料、拝見致しました。それで、この件につきまして、先ほど重役会議で話し合ったのですが……」 わたしはここで、わざともったいぶって間を作った。相手への返事を焦らすことで、あくまでもこちらが優位にあると相手に思わせるのが狙いである。『……はい。それで……、どうなりましたでしょうか?』「申し訳ございませんが、すぐに結論を出すのがリスキーだと判断致しまして。これからじっくり時間をかけて、慎重に検討した後にお返事を差し上げるということになりましたがよろしいでしょうか? それとも、これはお急ぎの案件ですか?」『……いや、特に急がなければならない案件ではございませんのでな。それはもう、そちらの判断にお任せします』(……しめしめ。向こうはすっかりこっちのペースに乗らされてる) 高森さんの反応を聞いて、わたしはこっそりほくそ笑んだ。どうやら作戦は成功らしい。
「――それで、会議の方はどうなりました?」 この中でただ一人、会議の場にいなかった村井さんがわたしに訊ねた。そろそろお仕事モードに戻らなければ。「高森物産への資金援助の件は、とりあえず慎重に調査もしつつ検討する必要があるってことで今日のところは結論が出ました」「調査……というと?」「あの会社が十分に信頼するに値する企業かどうか、慎重に調べる必要があるの。反社会的勢力と取引がないか、不自然な資金の流れがないか、この計画が実在するものなのか、その規模はどれくらいのものなのか。あと、資金を援助することで、ウチの会社にどれだけのメリットをもたらすのか。そういうところをね。我が社の優秀な調査チームに依頼するつもり。――というわけで野島さん、依頼メールの送信よろしく。わたしは高森さんに連絡を入れなきゃ」「かしこまりました」 彼はさっそくデスクに戻ると、パソコンに向かって調査部門へ送信するメールの文章を作成し始める。わたしもデスクに戻りがてら、つい彼の見事なまでのタイピングに見とれていた。わたしもタイピングはそこそこ速い方だと思うけれど、彼の手元に見とれてしまう理由は速さだけじゃない。 クルマのハンドルを握っている時の手元といい、パソコンを使っている時の手元といい、男性の手元ってどうしてこんなにカッコよく見えてしまうんだろう?「……社長? どうされました?」 あまりにもじーっと見つめすぎていたらしい。パソコンの画面から顔を上げた彼と目が合ってしまった。彼が不思議そうに首を傾げる。「あ……、ううん! ごめんね、気にしないで続けて。さて、わたしもお仕事しなきゃ!」 バツが悪くなったわたしは慌ててごまかし、デスクに戻った。電話の受話器に手を伸ばそうと
「――お帰りなさい、社長。先に戻らせて頂いてました」「お帰りなさい。重役会議、お疲れさまでした」 社長室の中では、いつの間にかわたしより先に戻ってきていた忍と村井さんが待っていてくれた。「ただいま。村井さん、ありがとう。戻ってくる途中にちょっと父と話してたから遅くなっちゃった。ごめんなさい」「いえ、別に謝って頂く必要はありませんが……。会長と? 何を話されていたんですか?」 三人で一旦応接スペースに落ち着くと、彼は深刻そうに顔を曇らせる。そういえば、彼と交際を始めたということをわたしがウチの家族全員に話したことを、彼はまだ知らなかったのだ。「ん? あなたとの結婚についてどう考えてるか、って。……ああ、ちなみにウチの家族全員、わたしとあなたが付き合い始めたこと知ってるし、喜んでくれてるからね」「け……っ、けけけけ結婚んんん!? い……いくら何でもそれは気が早すぎるんじゃ……」 彼が顔を真っ赤にして思いっきり動揺しているので、わたしは思わず吹き出した。けれど、わたしにも彼の気持ちはよぉーーく分かる。「そこまで動揺する必要ある? ……まぁ、わたしもそう思うから、父に言ったの。『まだそこまでは考えてないよ』って。でも、いつかはそうなったらいいなぁとは思ってる」「佑香さん……っと、失礼しました! 社長」「いいよ、別に。ここには事情を知ってる村井さんを含めたわたしたち三人しかいないんだから」 他の誰かが聞き耳を立てているわけでもないので、彼にうっかり名前で呼ばれたとしても、わたしがそんな些細なことで彼に目くじらを立てるわけがないのだ。「そうよー、野島くん。私も事情は分かってるんだし、好きなように呼んだら? 社長はそんなことくらいじゃお怒りにならないわよ」 村井さんもそう言ってくれた。忍も彼女に気を遣う必要はないのだ。というか、彼女ひとりだけ蚊帳の外に追いやってしまうのは何だかかわいそうだ。「あ……、そうですね。それはもちろん、今すぐどうこうしたいという話ではないんですよね? いずれは結婚したいという、最終目的地みたいなもので」「最終……ではないけど、まぁそんなところね。その場合、あなたがウチに婿に入ってもらう可能性もあるけどそれは問題ない?」「そうですよね。佑香さんには妹さんしかいらっしゃらないんですもんね







